2代目あい号逝く

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まどろみの中、第一報に気づけなかったことが、必然のように思えてならない。5/22 22:39の姉からのメールは短く、「先ほど亡くなりました」ととても静かでした。

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ある日のあいちゃん posted by (C)コマッチ

約12年間に渡り実家で暮らした雑種犬あいちゃん(メス)が亡くなりました。特に大きな病気もなく、過ごしてきたのですが、年明けから体力の衰えが顕著になり、通った病院の治療が合わなかったのか、突然の最期でした。

やってきたときから、あきれ果てるほどやんちゃで自由奔放でマイペースな性格。やりたい放題に家族を困らせて振り回して生きてきた反面、本来最も身近な子世代が高校・大学・社会人の、親元を離れたりはたまた舞い戻ったりとせわしない時間に生きて、寂しい思いをしたかもしれない。

思い出されるのは、実家の門扉を開けたとき、真っ先に飛びついてくるときの顔。意地悪を恐れてか若干逃げ腰だったけど。ラベンダーやローズマリーと戯れて首の周りに飾りを一杯つけてる姿。ハトを追いかけて整えたばかりの畑へ猪突猛進。雷が鳴るとそ~っと勝手口から上がってくる後ろ足。庭の一番大きな石の上でまるでスフィンクスのようにたたずんでいる姿。

今思えば、当時バラバラの生活スタイルを送る我々家族に何かを語りかけているかのよう。

昨年後半から今年初めにかけて、いろいろな事情や想いを持ってたびたび実家に帰った。2月18日のエントリの写真が最期になってしまった。喜びにあふれた時期も、悲しみに沈んだ時期も、浮き沈みを繰り返す姿。彼女にとってはどう見えたのだろう。

「人間って大変やな、いろいろ喜怒哀楽せなあかんし」

そういって、笑ってたんだろうか。

彼女の人生(犬生?)は幸せだっただろうか。

みんな口をそろえて、恵まれた環境で育った幸せ者だ、というだろう。十分走り回れる庭があり、四季折々の花に囲まれ、訪れるさまざまな人にかわいがられ。

反面、彼女は出産がなかった。子孫がなかった。施術はしていないのにもかかわらず。実家に誰もいないことなどはしょっちゅうだし、言い知れぬ孤独感を味わって寂しさに満ちていたかもしれない、とも。

我々人間の価値観によれば、それらをもって幸、不幸を考えがちかも。

でもそんな生き様を見、そして亡くなって思うのは、彼女自身は幸せな人生(犬生?)を追求しようとしていたのではないのではないか、ということ。

「与えられたものを与えられたままに生きる」

彼女の人生(犬生?)には何かそんな潔いメッセージを感じざるを得ない。いや、犬だから、といってはそれまでだけど。

「ただ、生き、ただ、死ぬだけ」

出会いも別れもあっけなく、幸せも不幸もなく、ただあるのは滑稽な思い出だけ。生きるってそんなものなのかもしれない。

などと、あいかわらずいろいろと考えふけって、元気なころのあいちゃんの写真とともに偲ぶ夜です。

あいちゃん、ありがとう。どうか安らかに。

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