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続けるって何だろう

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最近そのことについて考えさせられる出来事が多い。
自分が信じて頑張って続けていることが、かえってアダになっているのではないかということ。

昔から飽きっぽいし、マメではないし、コツコツ継続することは得意ではない。
そのせいか、かつて多くのことが中途半端であったし、いつも責め、悔いている。

そんな自分が嫌で、一度始めたことは続けていこう、頑張ろう、と努力するようになった。
努力の結果、喜びややりがい、自分の成長を感じることができた。
なので、そうして続けていくことが人生にとっていい目的になり、信条にすらなった。

気がつけば、頑張っている自分、続けている自分こそが正しい、飽きてやめる自分、
放棄する自分、あきらめる自分を許容出来なくなっている。

最近上司にも指摘をもらう。「申し送りで続けてはいけない」「”しないこと”を決めろ」と。

意識しているつもりだが、気がつけば周りには続けてきた理由が明確でないものばかり。
で振り返ると、「これって本当に必要なんだろうか」と。

「何かを得るためには、何かを捨てなければならない。」

当たり前のこと、わかっているのだけれど、どうも好きになれない、理不尽とさえ思えてしまう言葉だ。

一方、日常的に何か事を為さなければならない強迫観念に追われている。

何もしない、ゆっくり気を休める日を過ごしたのは、最近ではいつの日のことか。
それなのに、逆にそんな日が訪れることを恐れ、拒絶する自分がいる。
明日何にもしなくていいよ、と言われたら、日中はともかくとして、夜分には自己嫌悪でおかしくなりそうだからだ。

で今日も続ける。明日も続けるのだろう。強迫観念から解放されるために。

この生活、どこか間違っている気がする。

Twitterまとめの自動投稿ばっかりという指摘を受けまして

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ある筋から「最近Twitterのまとめばっかりやん!」という指摘を頂きました。

確かにツイートまとめばっかりでさすがに読む気も失せる感じなので、ここらでポストしてみるかな、と。

とりあえずおもむろに近況を投下してみる。

・仕事
→最近コーポレートサイトのチームとドッキングし、5人→7人に増員。席替えもして、だいぶ雰囲気変わった。
ただ、肝心のお店の方は安売が祟って売上下がりまくり。モチベーション維持が大変です。

・卓球
→ここ最近は週1、2回位で落ち着いてる。いつも誘って頂けるNさんに感謝です。再開したころを思えば強くなったと思う。大きな違いは戦況をみて試合を出来るようになったこと。特にダブルスおもろい。
不思議なのはシェイプアップ効果が表れないのはなぜ?ってことだ。

・システム屋まがいの営み
→知ってる人は知っている。報酬のためではなく誰かの役に立てることはとても幸せなことです。(詳しくはナイショ)

・GoogleAnalyticsを詳しく勉強中
→認定資格みたいなのもあるようだし、本腰をいれてみようかと。

・0655と2355、そして、シャキーン
→言わずもがな、NHK教育の番組。何だかホッとするんです。オススメ。

・iPadをせっせとさわる
→まさに無限の可能性!とりあえず当稿はもちiPadで。にしても、Wordpress本家のアプリいつになったらちゃんと使えるのだろう。

っと、下車しなきゃな。

涙や笑顔を 忘れた時だけ 思い出して下さい

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今日もいつもと変わらず暑かった。日向では容赦ない日差しがじりじりと肌に痛い。

拭ってもとまらない汗が、不快なほどにカメラをべたつかせた。

十字架の埋め込まれたガラスの向こうには、目一杯の青い海と昔家族でキャンプに行った家島が見える。

決して豪華ではなかったが物言わぬ演出が、ほのかにさまざまな思い出を呼び起こした。

ある種月並みとも言える「母への手紙」を読みながら涙するのを見て、いままで気丈に振舞ってきた姿の裏には、ごく普通の女の子がいたのだと、しみじみ実感させられた。

見送りにはいつもと変わらぬ小憎たらしい口調で、

「職場の同僚でよければ紹介してあげてもいいぞ」

ムッとしたが、普段見せない自我をさらけ出せて爽快なのか、なんとも苦笑い。

もうおめでとうはたくさんだろ?

今日、姉はお嫁に行きました。

連休をまんまと食い散らかす

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いや、暑い。殺人的な暑さ。
年々暑さに弱くなっている気がします。このまま温暖化が進むと間違いなく絶滅しそうです。

そんな炎天下の3連休でしたので、日中日が高いうち外に出て活動をしたのは19日のみ。

旧友にしてはマンスリーで顔を合わせているようないつもの脱力系若おっさんメンバーで、六甲山上にてBBQ。
目ン玉とろけそうな暑さでしたが、さすがに山の上だけあってまだ風通しがよく過ごしやすかっただよ。人口雪敷き詰めて雪まつりなんかもやってました。びしょびしょにならないんなら寝っころがりたかったなぁ。

BBQらしからぬ分厚さのやわらか肉を山盛り食べて、朦朧としながらHAT神戸のなぎさの湯に浸かりました。暑いやら、旨いやら、気持ちいいやら、もう1日中毛穴開きっぱなしでした。

先週の卓球集団のBBQに引き続きでBBQでしたが、思い返せばこのクソ暑い時期に2週連続で外に出てのイベントなんて、学生のとき以来。

学生のころはそんなに温暖化が進行してなかったんだろうか・・・もしくはクーラーのなかで過ごす時間が増えたせいで、どんどん暑さに対する抵抗力がなくなっているのか・・・

と真剣に身を案じながら、残り2日はばっちりクーラーの下にいた絶滅危惧種です。

さて、傍らに誰もいないし、ツッコミいれて笑うこともできないので、フラストレーションをこめて、記事をペッタンコ。

動体視力左右するたんぱく質発見…ピカチュウもじり命名
 視覚の情報を脳へ効率よく伝えるために必要なたんぱく質を、大阪バイオサイエンス研究所チームがマウスで発見した。

 動体視力の優劣に関係しているとみられることから、素早い動きが特徴の人気アニメキャラクター「ピカチュウ」をもじって「ピカチュリン」と名付けられた。

 網膜色素変性症などの治療につながる可能性がある。20日付の科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版で発表する。

 古川貴久・第4研究部長らは、マウスを使って、光を感じる網膜の視細胞ができる際に働く遺伝子を解析し、ピカチュリンを発見した。視細胞から脳へ信号を送る神経への「つなぎ目」だけに存在するという。

 ピカチュリン遺伝子を壊したマウスでは、正常なつなぎ目ができず、信号の伝達時間が約3倍かかった。速い動きに対する眼球の反応も遅くなり、動体視力にかかわっているらしい。古川部長は「イチロー選手のように動体視力に優れた一流の運動選手は、ピカチュリンの働きに違いがあるのかもしれない」と話している。

(2008年7月21日03時02分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080721-OYT1T00070.htm

もう少しマシな名前は思いつかなかったんだろうか・・・
「動体視力左右するたんぱく質発見」ときたもんだから、「卓球にも関係あるかも!」と思って開いてみたのに、

息子 「おとうさん、おとうさん。ぼくの目の中にもピカチュウがいっぱいいるのかな」
父  「・・・」

とか頭に浮かんできて、とても残念な感じです。

もうちょっとしっかりしろよ

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え~昨日。行って参りました。
47km/hオーバー 6点 赤切符 30日免停とのこと。
情けない限りでございます。
なんというか、でも、この程度で済んでまだよかったんだと思います。

正直ココ最近の自分は浮ついているんだと。地に足がついていないんだと。
深く深く反省をしなければいけませんね。

●「自由に生きること」は「いいかげんに生きること」ではない

おそらく自分は一般的にみて比較的自由に生きているほうだと勝手に思っています。仕事以外は起きたいときに起き、寝たいときに寝る。お腹がすけばコンビニなり、外食なり、食べたいときに食べ、絶えずすることは見つけられるし、飽きたらまた違うことに興味がわく。

でも、締まりどころはきっちりと締めていかないとほんとにテキトーに生きて終わってしまうぞってね。
直感や衝動で生きてしまえるところは、我ながらあっぱれな性格と思いますが、果たさなければならない義務や責任をやや軽視しがちかと。

●「おおらかでいること」は「自分に隙をつくること」ではない

もしかすると、もともとは繊細でややせせこましいタイプの人間のような気が。ただ、そんな自分ではいたくないし、そんな部分はつまらないと思う。そこを否定し続けて二十有余年、意識し過ぎて少しメーターを振り切っているかなと。

過去に積み重ねてきた小さな自己犠牲が、ある種一般的な損得勘定からかけ離れた人格を形成してきているのか。(あぁダメダメじゃん・・・)

「奉仕」という感覚がある。いかにも人間らしい美しい感覚で好きなのだが、世の中「奉仕」であってよしとするところとそうでないところがある。ある基準をもって過剰で不必要な「奉仕」は、受け取り側によっては単なる「隙」となっていることはないか?

●「大胆であること」は「危機感をもたないこと」ではない

相当のビビリだとはおもうのだが、二の足を踏んでいては日々切り開いていくことは難しい。「ええいままよ」とある程度の大ナタをふるって、大股で生きていることが自分を成長させていると実感している。

しかし、単なる思考停止であってはならない。「大ナタ」がうまく運んでいく背景には、分解すると数々の偶然が支えているし、入念な事前の予測なくしての振る舞いは単なる「無謀」ともなりえることを忘れてはいけないぞと。

また、軽率な行動から小さな失敗は数知れず重ねたが、たまたま小さな失敗で済んだということを肝に銘じなければならない。生活のあらゆるところに生活を大きく脅かす可能性のある危機が潜んでいることをもう少し強く意識しなければならないなぁと。

所詮人間はそう簡単には変われない。のど元過ぎれば熱さ忘れる。でもせめて骨身にしみたときくらいは、祈りをこめて書いておこうかな。